『タカオ』








ごめんなさい







『タカオやめろ』







ごめんなさい






『やめて』




やっぱり














やっぱりこの人を



















「あれ?レイ髪切ったノ?」

暑い、暑い真夏の日だった。
ジーワ、ジーワと蝉は命を削り、コンクリートは陽炎を抱えて燃えている。
真っ白に光る雲や窓や家の塀、全てが影を嫌い、また恋い焦がれ抱き合っていた。

そんな中、透けそうに明るい髪を持った少年と会った。



「  マッ クス」






喉が渇いていた。

真夏だ、それは仕方がないのかもしれない。
しかし熱の運命を握ったのは紛れもなくコンクリートジャングル。
緑が恋しいのはやはり勘違いではなかった。

しかも東京の夏は湿気は多いというくせに、構わず唾液は蒸発の一途でドロドロと口内を犯す。


「久しぶり、レイ元気?」


喉が渇いていた。
元気じゃないと言いたかったが、屈託のない彼に心配をかけたくはなく、また否定するのに使用する労力もなかった。


「…ああ、久しぶりだなマックス」


「あっやっぱり髪切ったでショ!しかも自分で?」
「…よく分かったな」
「だぁって!大分アシンメトリーネ!でも顔もちょっと切っちゃったんだネ、ほら耳!」

昔から勘が鋭いとは思っていた。

「ああ、目にかかるのが気になってな」「レイったら器用そうなのニ…ダメだよちゃんと美容院いかなきゃ!」
「そうだな、今度からはそうする」

だからこれ以上はどうか気づかないで

そういうと俺の顔を下から覗き込んだ。
元気だった彼の声色がかげり、少し低めにのどを鳴す。


「…ねぇレイ」

喉が渇いていた。








「…痩せた?」
















どうかこれ以上は









「そんなことないよ」
「そう?」
「ああ、最近また筋肉ついたのかもな」
「エーレイったらずるい!ボクなんか全然つかないネ!」
「そうなのか?」
「そうだヨ!わけてほしいくらい!」
「はは、じゃあ一緒に山にでもこもるか?」
「ええっそれはいやネ!」


マックスは昔から勘が鋭かった。
だから気づかれたのかもしれない。
楽しそうな声色に含む疑念、哀愁。
優しい目元、まるで泣き出しそうな目元。
果ての見えない青の奥


喉が渇いていた。

夏だからという理由だけではなかった。
俺は友に、大切な友に嘘をついたんだ。





















「レイ」




夕飯のキャベツを切っていると、背後から彼が呼んだ。
振り向かず、返事もせずに次の言葉を待つ。


「レイ」
「レイ」
本能が呟いた、


ああ、やばい


普段は普通に学校に通い、友達と遊んだり談笑したりする。しかしタカオは時におかしくなる。
特に、こんな風に俺の名前を呟くとき。


「タカオ」

「レイの髪綺麗だ」

「タカオ」

「食べていい?」






やめて





「―――っ!」
タカオに髪を鷲掴みにされた俺の頭皮が悲鳴をあげた。引かれるままに床に倒され俺に馬乗りになる。
手から離れ、宙を舞った菜切り包丁がドスっという音をたて床に刺さる。
足元に落ちたのか、ふくらはぎが擦れてヌルッとした感触が足を覆った。次いで来る鋭い痛み。
どうやら足を切ったらしい。

次いで彼が顎を強い力で掴む。

「タカオっ…」
「学校で習ったんだ、髪とか爪が伸びるのってさ、再生能力、なんだって。」
「タカオやめ」
「トカゲの尻尾みたいだよね」
「やめろ」
「俺がレイの髪を食べたらさ、レイ、俺の中で一緒に成長してくれるかな」
「何をばー…」


カチャカチャ


何をバカな事ー、と続けたかった唇は永遠にその後を紡ぐことはなかった。
タカオが流し台の下から果物包丁を取り出す。
ああそれは、タカオと一緒に住むと決まった日に俺が買ってきた包丁だ。
それで林檎を剥いたんだ。なあ、美味しかったな。



ドスッ

「あっああ あっ  ーっあ あ …っ!」


耳のそばをヒュッという音をたてて包丁が刺さった。
果物包丁は飾り切りもできりように先が細くなっている。
それが幸いしてか、耳が持って行かれることはなかった。

パラパラと俺の髪が離れていくのがわかる。そして耳からの出血で血にまみれていった。
タカオは外側に広がる髪を手に取り、包丁をテープカッターの容量でザックリと髪を切った。
世界大会で伸ばした髪、みんなと会ってから一度も切ったことのない髪だった。
願掛けをしていたわけではない、しかし離れていく髪と一緒に彼らとの思い出さえが切り取られるようだった。

タカオは切り取った俺の髪をそのまま口に持っていくと、まるでスナック菓子でも食べるかのようにむしゃむしゃ咀嚼した。
そして間髪入れずにそれを吐き出し、


「まず」


ああ、俺の髪はそれに付着した血液は無残にもゴミ箱に捨てられたのだ。
勝手に切られ不味いと言われ捨てられ、ああ可哀想な俺の一部。




「あ、 ああ っあ」

「レイごめん痛かった?ごめんレイ」

切られたのが耳たぶで良かった。もともと痛覚が少ないので想像するような痛みは襲ってこない。
しかし俺の心配はそこではない。
タカオが少なからず罪悪感を感じてしまったことにあった。




「レイ、ねえレイごめん」




「ごめんな」



「レイごめん」


「ごめん」

「ごめん」
「ごめん」
「ごめん」
「ごめん」
「ごめん」


タカオはいつも、俺が許すまで謝り続けた。ごめん。ごめん。ごめん。と

先日は喧嘩別れになったその足で仕事場に行ったが、
着信履歴と留守番電話の伝言が埋まっていたことにはさすがに恐怖した。ごめん。ごめん。ごめん。


「タ、カオ」

「ごめん」
「いいよタカオ」
「レイ」
「俺は大丈夫だから」
「レイ」


『ごめんな』



最後にそれだけつぶやいて彼の懺悔は終わった。




そのあと何事もなかったかのようにテレビを見て笑い出すので、
俺も何事もなかったかのように床を掃除し、包丁を洗って夕飯作りを再開した。
背後では新人芸人が会場をわかせている。


「ははっ!レイ今の聞いたー!?ぜってーそんなことありえねーよな!」

「ああそうだな」



タカオは普通の子だ。
あんなことさえなければ普通の高校生なのだ。


「レイ夕飯まだー?」
「もうちょっと待てって」

おかしくなんか、

















「じゃあまたねレイ」

「ああ、また」

マックスと別れた後家に帰ろうとしたが、特売の卵を買うのをうっかり忘れていたので荷物だけ置きに行くことにした。
ちなみに今まで仕事だった。
隣町のスーパーで品出しをしている。時給800円、朝から入ると時間給プラス150円。

玄関をあけると靴があるのでタカオは帰っているらしい。


「ただいま」


「レイおかえり!なあなあこれ隣のばあちゃんがくれた!」

ぱたぱたと軽快な足音を響かせ奥からその顔が駆け寄ってくる。
嬉しそうに言うタカオの手の中には小ぶりなトマトが4つほど収まっていた。

「へえ、うまそうだな」

「ばあちゃんの猫が家出してたらしくってさ、たまたま学校帰りに見かけたからつれて帰ったらさ、
ばあちゃん大喜びでトマトいっぱいくれたんだけど、二人じゃ食べきれねーから4つだけ!」

「偉かったなタカオ」


俺がそう言うとタカオは僅かに頬を染め、へへっと笑った。
普通、普通の子だ。


荷物を置き、また出かける支度をしている俺にタカオは不思議そうに声をかける。

「レイまた出かけるのか?」
「ああ、3丁目のスーパーで卵が安いんだ。クーポン券もったいないから行ってくる」

俺がそう言うとタカオは ふぅん、と興味がなさそうに答えた。そしてなにか思いついたとばかりに両手をあわせ、

「じゃあレイ、今日は俺が夕飯作るよ!」
「え」
「トマト、今日食べちゃおうぜっ」
「あ、ああ」

久しぶりに見た幼い子供の笑み。タカオは嬉しそうだった。

こんなに嬉しそうにしているのにー
断るのも何だ、今日はタカオに任せることにした。

「じゃあ頼むよタカオ」
「へへ、任せろって!」








行ってきます、ちょっと遅くなるかもしれない。そう言えたのがせめてもの救いだったかもしれなかった。