ぐいっ

「!」






アパートを出ると何かに強く腕を引かれた。
ぐんっと体が後ろに傾くのを感じたとき、防衛本能というのか反射的に後ろの存在に回し蹴りを見舞いした、

バシッ


「え、」
しかしそれはいとも簡単に受け止められ、反動でよろめいた体は倒れることもなく今は誰かの腕の中にいる。
倒れる前に手を引かれたのだ。



「か、カイ…?」
「…ああ」




抱き止められた腕を解かれると突然の訪問者に向き合った。
二色の、まるで空と海の髪にガーネットの眼をもつ彼、火渡カイだった。

「わ、悪いわざとではないんだ。とっさで…」
「分かっている。行くぞ」

「え」




全く話が見えない。


そう言いたかったのだが当の本人はすでに俺の手を握り歩きだしている。
背中しか見えないが何か急いでいるようにも見えた。

「かっカイ」
「なんだ」
「俺今から卵を買いにー」
「そんなもの後でいくらでも届けさせる」
「え、でも」
「悪いが今日は付き合ってくれ」


悪いが、

滅多に彼の口から漏れることのない言葉、そればとても重要なことのように聞こえた。
タカオにはあとで連絡すればいいだろう。
俺は携帯を持っていないので公衆電話か、あるいは目の前の彼に借りればいい。

そう思いながら手を引かれ、後ろをただずっとついていく。
身長も股下も俺よりずっと長い彼に、無理な体制でついていくのは少し大変だった。
俺の腕を掴んでいるそれを見る。

白い。

シミ一つない、10人並の言葉だが陶磁器のような肌、
(モデル、というには現実味がありすぎる。本の登場人物と言った方がしっくりくるだろう。)
美しい彼は顔だけではなく全てが美しいのだろうか。
そしてその腕の延長線上にある自分の腕を見る。
マックスが言ったように幾分か痩せた。カイには負けるが白くなった。
そして比べようのないほど汚い傷だらけの腕。
絆創膏が3つと包帯が一巻き、数え切れないほどのあざと擦り傷。

ああみっともない、ボロボロだ。




カイの足は近くのファミレス向かっていた。
「ファミレス…?」
「なんだ、文句でもあるのか」
「いやそういう訳じゃない、ただイメージと合わなかったと言うか…」


ふんっ
カイはそう鼻を鳴らすとウェイトレスに予約していた火渡だ、と言った。

案内されるままに店内を行くと、一番奥の目立たない席まで連れて行かれた。
そして席についた途端凄い量のデザートが運び込まれる。
ショートケーキにダブルチョコのティラミス、苺パフェにピスタチオのアイスにああ生クリームとバニラアイスのフレンチトーストまで。
最後にコーヒーがカイの前に置かれてウェイトレスは一斉に退いていった。

あっと言う間にテーブルは様々なデザートに埋め尽くされた。それは本当にあっと言う間。




「喰え」

「え」



喰え、とはおそらくこの大量のデザートのことなのだろう。しかし意味がわからない、いきなり連れてこられてこれを喰え、と
そんな腹のすいた顔をしていたのだろうか、俺が、せっかくカイに会えたというのに、食欲を優先するような顔を?


「喰わないのか」

「…カイ?」
「喰わないのかレイ」
「…こんなに食べたら夕飯が食べれなくなってしまう」
「では夕食を食べなければいいだろう」


「…タカオが」


ぴくん、とカイが反応したように見えた。






「タカオが夕飯作って待ってるんだ」



次に赤い目のそれが眉を寄せ、不機嫌の表情をつくった。けれど黙ってただ次の言葉をまっている。

「嬉しそうに、俺が作るよ、…って、俺のこと、待ってるから…」

カイは右手に持っていたカップに一度だけ口をつけて机に戻した。
腕を組み俺を見据える。

「…レイ」
「 、なに」
「俺はお前が好きだが、お前が他の奴とでも幸せならそれでいいと思っている」
「…」


カイが俺のことを好きだなんて初めて知った。
こんなにさらりと言ってしまうというのは、きっとカイの中では大した問題ではないからなのだろう。
嬉しい、俺もだ。そう言いたかったが何故だか好きな人に告白されたに関わらず気分が高揚しない。
感情が水面下を滑っていた。浮つかない。沈みそうな表情。
カイが好きなことなんか大した問題ではないからだろうか。


ああでも、俺たち両思いだったんだ。




「しかしな、レイ」

「…」
「どう見ても今のお前は幸せには見えない。言いたいことはわかるな」
「…カイ」

「レイ、笑ってはくれないのか」


―笑ってはくれないのか。
それを聞いて気付いた。俺、笑っていなかったんだ。カイと居るのに、好きなのに、両思いなのに。
フレンチトーストに乗ったバニラが溶けている、周りの騒ぎ声、楽しそうな声色。


「…もう良いだろう、木ノ宮と住むのをやめろ。今のお前を見ていられない」
「…」



予想していた言葉だった。しかし返す言葉を前もって用意できるような器用さは俺にはなかった。



「レイ、俺では駄目か。」
「…」
「笑っていほしいんだ」

カイの言葉はひどく甘かった、それはもう胸焼けしそうなくらい。しかし同時に苦く俺の舌を犯した。
どうして、
どうして、なんて分かりきっている。
俺にはどうすることもできないからだ、選ぶことも、迷うことも。













「ごめん…少し考えさせてくれ…」

「…。…、わかった」



ため息と一緒に吐き出すかのように、答えはノーだと言った。
ごめん、カイは本当の意味に気付いてくれただろう。ありがとう、カイ。ごめんな。



ガタ、とカイが立ち上がり隣に座る。そしてふわりと俺を包み込んだ。
俺はこうなるのがわかっていたかのように動揺もせずそれを受け入れて、低い温もりに酔った。






「…今だけでいい」

腕の力はどんどん強まり、抱くというよりしがみつくようになっていた。

「俺のものだ…」






ひとりごとのように、しかし言い聞かせるようにポツリと言った。
ああカイ、俺はいつだってお前のものになりたいのに。
そう伝えたかったが耳元の微かな震えに何も言えなくなった。
俺だって泣いてしまえば楽だったかもしれない。

家に帰るまではずっと手を繋いでいた。
そして最後に一度だけ俺を抱き締めてカイは帰っていった。
最後の顔は街灯の光で逆光だった。
両思いになった俺たちはキスすらしなかった。
さよなら恋心、かわいそうな俺たちの恋心。

今度生まれるときはもっとあまやかで優しくあればいい。




















部屋に帰ると何かがおかしかった。



もう夜だというのに部屋に電気の気配がなかった。
タカオには結局連絡していない。家を出てから2時間たってしまっていたが、「少し遅くなる」はまだ有効だと思いたかった。
ドアノブを回す、鍵はかかっていなかった。


「ただいま…タカオ…?」


電気を付けずに部屋に入る。街灯の光で部屋は淡く青色だ。人影はキッチンに立っていた。



「…タカオ?」


「…レ…」

彼の正面に回り込めば口を開くが早いか押し倒された。


ドンッと背中を強く打つ、むせた。
ゴホッ…ゴホッ


次いで肩あたりにドスッという衝撃があった。
外からの光で薄暗く鈍く、青色に光る。ああ、なんで俺はこんなにも包丁に縁があるのか。


「レイ、遅かったね」
「タカオ…?」
「夕飯作れなかったんだ。ごめん」
「タカ…」


ポタリと頬に冷たさが伝った。
タカオが俺の肩を掴む、ヌルッとした感触と冷たさを感じた。
一瞬血かと思った。




「トマト綺麗に切れなくて、グチャグチャになって、真っ赤だけど血じゃなくて、そしたらレイの血を思い出せなくなって、レイ帰ってこなくて」



一口にまくし立てるのでよく理解ができなかった。
ああなるほど、横目に床を確認するとトマトとおぼしき物体が無惨にも原型をとどめてない形で転がっている。

「ねえレイごめん夕飯はないけどレイどこ行ってたの俺のことおいてかないでよレイ、ねえお願いだから」
パタパタと俺の頬を水が撫でる。

俺が悪かった、俺がカイと話していたから、タカオごめん俺が悪かった。謝らないでタカオ


「レイ、ごめん、お願いひとりにしないで隣にいて」


ごめん


「ごめんなレイお願い」


ごめん



「ごめん、痛い?レイねえ」



ごめんなさい








ああ、やっぱり俺は、


「ごめん」











カイ、違うんだタカオじゃない、今までずっと勘違いしてたんだタカオじゃなかった、俺なんだ。


『ごめん』














俺がこの人を一人にできなかったんだ。








































指切りはできない


なぜなら既に小指は壊れていたから。