ガシャン ガシャン 「…カイ…?」 話があると告げたカイは、レイと向き合う形になり、 胸元からあの鍵の束を取り出すと両腕両足の枷を外した。 久しぶりに自由になった四肢は異様な軽さを覚えた。 例えるなら高い処刑台から飛び降りる日の手足だ。 しかし確かに自由になったはずなのに、自由になったという感覚は一切なかった。 長い間拘束されていた手首は、皮が剥け、再生され、 それがまた剥けるという過程を繰り返しそれは酷い有り様だった。 レイは不可解という表情で両腕とカイとを交互に見るのだが、 一方のカイは切なげに、しかし微笑みも保ったままレイを見つめている。 そのままの状態が続くかと思われたが、不意にカイは、右手でレイの左手首をつかみ、口付けた。 「ん…っ」 驚いたレイが身をよじり逃げようとするが、空いている手でカイがそれを拒んだ。 必然的に抱き合うような形になる。久しぶりの積極的な行動に体温が高くなるのを感じる。 「…カイ…?」 レイの呼びかけにも答えず、カイはただ手首に口付けを落とすばかりだった。 カラン 夏の風物詩だと言う、少し迷惑な蝉時雨と、ガラスの中で崩れた氷の音。 既に7月に入っているというのに意外にも風は乾いて、すずしい。 どこでもそうは行かないだろうが、さすがは道場だ。 母屋も建てかえてはいないそうなので、昔の建造物の特徴で風通しが良い。 クーラーも扇風機さえも不要だった。 「へえ」 テーブルの下で裸足を揺らすこの家の主は、 ひじをついて見るからに甘ったるい液体を口に含んでいた。 良くそんな物が平気で飲めるなと、嫌味でも言ってやりたい気分だったが 先ほど、自分が飲んでいるアイスコーヒーを見て、 嫌味もなしに、良くそんな苦い物平気で飲めるよな と言われたばかりだったので やめておくことにした。 「お前でも持ってねぇ物ってあるんだな」 さも意外とでも言いたげに、先ほどタカオに話した物の返答を口にした。 そのままグラスに添えていた左手を離し、肘を立てて頬杖をする。 テーブルの下で揺れる二つの素足は、そのたびに僅かな風を起こしていた。 「当たり前だろう・・・貴様、何か俺を勘違いしていないか?」 目を伏せて、話を聞いてもらったにはあまりにも不躾な態度をとる。 失礼だったかと自身でも少し気にはなったが、 いつも道理タカオは「そっか」と、笑ってそれを軽く流した。 カイの性格は、自他共に扱いにくいことを分かっているからこそ、 そういったタカオの性格には正直とても助けられた。 「でも本気で意外!お前って感情無さそうだもんなー!」 少し、此方も扱いにくいが。 ははは、と一通り笑うと、彼は突然静かになった。 否、静かにした。 「カイ」 一切笑いを含んでいない声に顔を上げると、タカオと眼が合った。 先ほどの邪気を感じない眼とは一変。今の彼の眼には表情を感じられない。 しかしそれはほんの少しの変化。 顔を知っているだけの付き合いならば、きっと気がつかなかっただろう。 「なあカイ」 タカオはカイから視線を外さずに、もう一度呼びかけた。 やはり笑っていはいないが、唇は両の頬を吊り上げるように弧を描いていた。 悪戯を思いついた子供、というには少し弱い。 けれど一番近い表現だとそれになるだろう。 タカオは笑っていた、口元だけを無理に笑みの形に作った酷く不自然なそれを。 称するならば、おぞましい微笑。 「良い方法、教えてやろうか」 弧が三日月を作って揺れた。 背中に汗が流れるのを感じながら、それでもタカオから視線を外せなかった。 頭の中は取り憑かれたように、その言葉だけが巡っている。 今なら分かる。 タカオはカイの望みを知っていた。 そして5分か、10分か、あるいはもっと長くの時間を隔ててか、カイはようやく口を開いた。 「レイ…」 「な…に…?」 「今まで悪かった」 「え」 レイは自分の耳の機能を疑った。 それと同時に今聴いたはずの言葉を忘れかけていた。 それは脳が受け付けようとしないからなのだろうが、 今のレイにはそれを不思議に思うほど、何も考えられなくなっていた。 「…この3ヶ月間本当に悪かった…。こんな所に閉じ込めて、つらく、苦し、かっただろう…」 カイは俯いたレイにゆっくりと、言葉を選びながら話しかけていく。 「俺は恐かった。お前がいつ俺の前から消えてしまうのか、酷く恐かった…。 だからあの日、逃げてしまわないように、閉じ込めてしまった。」 カイの右手は未だレイの左手首を拘束したままだった。それに気付いているのかいないのか、カイは語り続けた。 「お前の気持ちを知りもせず、考えもせずにこんな行動を取ってしまったことは酷く恥ずべきことだと思う、 しかしわかってほしいんだ、俺は、…お前が欲しかった、ただ欲しかった。」 レイは何も言わない。 「お前の気持ちが知りたかった。傷つけてしまったのなら、それを償いたい。悪かった、レイ」 俯いたままのレイがピクンと動いた気がした。 「中国…に帰るんだったな、引き留めてしまってすまんな、 お前が帰ってこれないというなら俺が村へ行く。待って、いてほしい。 必ず会いに行くから。」 カイは、自分の思いを全て伝えた。 これで、ただレイが笑ってくれればいいと願っていた。 あわよくば、笑って、「いいよ」というその一言を望んだ。 「レイ…」 しかしあまりにもレイの反応がないので、不思議に思ったカイはレイの頬へ手をやり顔を見ようと… バシッ 「…ざけるな」 「レイ…?」 「ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるな!!」 レイはカイの手を振り払い声を荒げた。 バッとあげたレイの顔は怒りに染まり、真っ赤になっていた。 「…っレ…!?」 「お前が…っ!!」 あらげるというより叫ぶ、だった。 「お前が望むなら殴られたって犯されたって構わなかった!お前が求めるなら髪の毛一本お前の物だった!」 「…っ!?」 「悪かっただと!?ふざけるのも大概にしろ!この3ヶ月間が無駄だったとでも言いたいのか!」 「違う!」 「何が違う!監禁なんてどうでも良かった!嫌じゃなかった恐くなかった!だから…っ!だからお前がそのあと俺を」 「俺を…連れ出してくれたら」 「…っ」 そこで言葉は途切れてしまったが、レイが言わんとしたことはどれ程にでも予想がついた。 二人は、あまりにもすれ違ってしまっていたのだ。 「…もう二度と俺に関わるな」 そう呟くように、しかしはっきりと告げたレイを、カイの隣をすり抜けるレイを、 どうしようもできずにただ立ちすくんでいた。 無機質な戸の開閉を耳で感じ、夏だというのに寒さに震えた。 そのときふとあの言葉がよみがえった。 『 』 真っ暗な空には月など見えやしないというのに、カイの目にはいつまでも三日月が揺れていた。 彼は、一体いつからどこまで知っていたと言うのだろう。 『いい方法、教えてやろうか』 |
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