『ザ・・・ザザ・・・』






「…タカオ…」










ベッドの奥のほうからもれる音、久しぶりに聞くカイ以外の人の声。
その声に、懐かしさが胸をいっぱいにした。
間違えようの無いあの人、彼、大切な大切な友達。
以前あってからまだ1ヶ月も経っていないはずだったが、
この閉鎖された空間では時間をうまく感じることが出来ないので大分会ってないようだった。
中国に帰った後ならそんなことも思わなかったのだろう。
そう。
そんなこと、思ってしまった。




「…会いたいな」





確かに、
会いたいと思ってしまったのだ。
























「木ノみ…っ」
「いっかわらずひっろい部屋だなあ〜掃除とかどうしてんだ?家政婦?」

一体

「飯とかは?ああ外食か、金持ちは違うね〜」

一体

「なんつーか家事全般できねーだろお前ー」






なんだと言うのだ、今のタカオからは敵意も殺意も感じなかった。
いや、初めからそんなもの自分だけだったのだ。タカオには元より敵意も殺意もない。
カイだけが敵意と焦燥を感じているのだ。

だからこそ判断に困る。
(な、にが目的!)


それだけ考えると少し奥の方でばさばさと何かが落ちる音がした。
瞬時に思考が戻り、冷静な判断とはいかないが今すべき行動を考える。
とりあえず音の方まで行って見るとタカオが崩れた本を積みなおしているところだった。

「うっわなんだこれ!六法全書!?お前法律なんかやってんのかよ!」
「・・・。・・・あ・・ああ、必修科目だからな・・・」
「意味わかんねーうわっ文字ちっさ!!読めねー」

ははっとおどけた様子で笑う。
バラバラと本を捲り、最後のページを閉じると本の山の一番上に置いた。

「ふーん」

それから居間より一回り小さい部屋を見渡す。
ふらふらと部屋にある、一般的な10代よりは少ない私物を物色していた。
物珍しそうにそれらを一通り弄るが、何せ必要最低限のものしか置いていないので
数分も立たずに終わった。

「何もねーと思ってたけど本だけは無駄にあんのなー。
つっても難しそうなもんばっかだけどー。お前漫画読まねえの?」
タカオとの会話は以前のようなものだった。
あのときの戦友のままだ。

「き・・・さまも、少しは活字を読んだらどうだ」
「うぇえ〜お前までそんなこと言うのかよ!先公と一緒じゃねえかー」

会話が成り立っている。
恐れも多少はあるが今のタカオは友人としての彼だ。
なのに、

「ん〜・・・」

なのに、
少し気がゆるみそうになるが次の一言で現実に引き戻された。





「なあカイあいつどこだよ、元気?」


思わず息が詰まる。詰まるというより止まると言った方が良いのか、
喉自体が締め上げられる感覚に生理的なアレがこみ上げる。
タカオはさっきと全く同じ声で言った。そう、全く、だ。
彼は解離性人格障害があるわけでも、他に精神的な異常があるわけでもない。
今の質問も、ただ疑問に思っていることを口にしているだけのことなのだ。

だからこそ怖い。




「…っ
貴様に教える筋合いなどない…」

「ちぇケチくさい、別に良いだろ?減るもんじゃないしさぁ」

「…十…分減るものだ」

「ははっ屁理屈、お前らしいぜ」



三日月はいくら声が楽を奏でていてもやはり三日月であって、決して笑ってなどいなかった。
笑い声は湧き出ては沈み、止めどなかったがカイをおぼれさせるには十分だった。
タカオはことごとくカイから酸素を奪った。
そのため思考が働かず回避するすべさえ思い浮かばなくなっていた。

ただ、

苦…しい



途端、こみ上げるアレがこぼれた。


ツウー…




「あ?ちょ、お前泣いてんの?」

「…るさい」


カイ自身が一番驚いていた。
目頭から溢れた水は静かに鼻筋を流れて落ちた。
温かいそれが通った道は、冷えてすぐ冷たくなった。
量こそは多くないが、とまらない。
確かに何も泣くことではないのだ、ましてや男。
しかしそれよりも自分がまだ泣けるということを驚いた。


「おいおいマジかよー泣くなって」

「・・・・・」

レイにはスピーカーを通してタカオの声が聞こえてしまっただろう。
何日も部屋の中で過ごしているのだ、いくらカイを許し、受け入れたとしても久しぶりに友の声を聞き、
心変わりをしても仕方がない。可笑しくは無いのだ。
カイの心はどうやってタカオを帰らせるか、ではなく部屋に帰ってレイがどう反応するかでいっぱいだった。


「ん〜なんつーか俺が泣かしたみたいじゃん?泣き止めって」


あんなに怖かったタカオの声はいつしか遠くなっていた。
遠い場所で確かに闇を作っていたが、しかし靄に隠れたようだった。









レイ…


レイ
お前しかいない
お前さえいればそれでいいから、





…助けてくれ




















ガチャ



「あっカイお帰りー今日はちょっと遅かったんだな」






タカオが帰った後、消沈の思いで部屋に入ったが、レイはいつも通りにカイを迎え入れた。
レイにタカオのことを聞きたかったがこの空気では自然とその話にはなりそうもない。



「 、レ」

「カイお前さー冷蔵庫の中もっと整理した方がいいぞ?キャベツ2個も二人じゃ腐る前には使いきれないって」
「…?レイ…」
「あ、あとクリームシチューとか食えるか?ちょっと甘いからカイ無理かもしれ…」
「レイ!」

「ん、なんだ?カイ」









「…あ」

「ん?」


「あ…いや…」

レイがあまりにも話を聞かないので思わず一方的な会話を遮ってしまったが、なにしろカイには遮ってもメリットがない。
続く言葉に困っていると、レイは何事もなかったように話を続けた。

「前から思ってたんだがお前ネギ嫌いか?吸物にも入れてないし」
「そんなこともないが…」
「じゃあ入れた方が良いって、絶対そっちの方がうまいからさ」
「・・・・・」

買ってこいというレイの言葉にカイはただアアと返事を返すことしか出来なかった。








その日は初めてレイと夕飯を食べて、初めてレイが片付けをした。
さすがに料理をしていただけあって料理も片付けもうまかった。
それから頼まれていたトランプを買ってきて、遅くまで二人きりで遊んだ。
(レイはむだに婆抜きや神経衰弱がうまかった)
(ポーカーはやり方を知らなかったレイが負けたが、おぼえてしまったらカードでレイには勝てないだろうと確信した)





その日は、
いつもより長く部屋にいた。

いつもよりレイが笑っていた気がした。




闇は消えていた。






























12/03