俺の耳はどうしてしまったのだろうか。とうとうイカれてしまったのだろうか。




















壁から聞こえるのは紛れもない友の声、




一体、なぜ。







彼らはどこにいるのだろう、この音はどこのものを拾っているのだろう。

(まさかこの近くに?)


こんな高い場所にある窓が防弾ガラスなら壁はきっと防音で厚いのだろう。全く徹底している。
だったらわざわざスピーカーを埋め込んでまで自分に聞かせるのに合点がいく。
これで意思を伝えるためか、孤独を感じさせるためかはわからないが。

それならばなぜ、

俺の耳はイカれてしまったのだろうか。
それならばなぜ彼らがカイと一緒にここにいる?




















「すっげー!お前まじでこれ買ったのか!?」

「まあな」
「にしても何もない所ネ〜インテリアの一つでも置いたらドウ?」
「必要ないだろう」
「カイは相変わらず変なやつネ!」
「全くだぜこの変人!」
「貴様ら…」


カイの額に青筋が浮かんだところでマックスが話題をかえた。

「デ?カイはここを何に使ってるノ?」







「ー…」

「?」



カイの顔に見えたのはわずかな動揺。

「…カイ?」
「いや、なんでもない」



そう言った後、カイは静かに「家の人間から逃げる場所が欲しかった」と言った。
マックスは少し訝しげにはしていたものの、おとなしく納得することにしたようだ。
俺は、一人見ていない振りをした。

今度は、俺の番だと思った。






「なあカイ…」
「なんだ木ノ宮」
「レイ…がさ、中国帰ったの知ってる…?」
「…ああ」
「そっか、レイちゃんとお前にさよなら言ってったんだな」
「ああ」
「…辛くないのか?」

「仕方がないことだろう」

「え」
「カイ?」
「俺が止めたところでどうにもならなかったと言ったんだ」
「デも…!」
「何度も言わせるな、仕方がないんだ」
「…」




意外な言葉に俺とマックスは思わず黙り込んだ。
カイはこんなにも淡泊だっただろうか。
傍から見てもカイはレイに執着していたように思う。ただの気のせいなのか

すると、この重い空気が長く漂うのを予知したように唐突にマックスが声をあげた。
まるでワザとのようだったが。

「ワッいっけない今日店の手伝いの日だっタ!ごめん帰るネ!」
「お、おう頑張れよ!」
「ウン!またネ、タカオ!カイ!」






キィぃー、ぱたん…











戸を開閉する振動を感じたらそこはもう沈黙だった。
カイは玄関に行き鍵をかけていた。


がちゃ


いきなり出来た空白に少なからず憎しみを感じながら、今からどう言って帰るきっかけを作ろうか、と考える振りをした。



そう、考える振りを、だ。

なぜなら俺にはこの空気を苦しがる必要がないからだ。
なら、その考えを止めても良いのではないか。






「…なあカイ」

ぴくん

いきなり変わった俺の空気にカイはわずかに動揺したようだった。いや、恐れを感じたと言った方が正しいか。


「なあカイ?」
「…」
「返事しろよおい」
「…なんだ」



















「レイ、どこに隠したんだよ」




























「マックス…!?」

壁から聞こえていた音からマックスがいなくなった。どうやら帰ったらしい。


ブッ


するとその途端マイクが音を拾うのを止めた。
「やっ…!」

壁に寄せていた耳を放し、顔を壁に向けて叫ぶ。



「いやだマックス!待ってく…!」
顔から血が引いていくのがわかる。

「いやだ!いやだ行くなマックス行かないで…っ!」
ああ全身から力が抜けて行く、頭さえ支えることができずにもたげた。

「行かないで…」
目が見開いたまま閉じようとしない。
自身の声すら消えようとしている。もうこのまま出られないのか?
一生ここで過ごすと言うのか…




違う


駄目だ、
駄目だこんなとこで諦めるな



「タカオ…!」


ヂャラララッ

ベッドから降りて力一杯ドアまで走った。鎖がそれに合わせて例の嫌な音をたてる。
ドア付近の通路の入口に来ると鎖が伸びきり俺の意思とは反対の方向へ体が引っ張られた。
パンッと腕が張り激痛が走る。


「くっ…!」


その痛みに耐え必死にドアの向こうへ叫ぶ。


「タカオ!居るんだろうタカオ!?俺だ!レイだ!」

シンとした部屋に自身の声が響き渡る。

「気付いてくれタカオ!俺はここだ!ここに居るんだ!」
「タカオ!」








幾度となく叫んだ。喉の渇きが酷い。
カラカラになってドロリとした唾液さえも欲しがっているのが分かる。
それでも痛みが許す限り叫んだ。
しかしそれは響いた後沈黙にかわり、俺の耳を痛め付けた。
またしても全身から力が抜けて行ってしまった。ズルズルと座り込む。


(分かっている)
(タカオはきっともう帰ってしまった)



夕か朝だと思った時刻は夕方だったらしい。辺りはもう真っ暗で、崩れ落ちた俺の膝さえ見えなくしていた。


ハアハアと肩で息を繰り返す。
そのとき目の前の遠いドアが静かな空間に音を立てた。


一体誰が、なんて野暮な質問なんかしない。なぜなら彼しかいないじゃないか。
その音に縋るように顔を向ける。










「…カイ」





























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