『良い方法教えてやろうか』 そのとき、不意にタカオの声が聞こえた。 彼は何故か分からないほどのおぞましい微笑をうかべ、静かにカイを見据えていた。 ゆらゆらと三日月が揺れる。 ぼう、と立ったままのカイの腕の中には、背を上下に動かす愛しい体。 タカオは、 彼は、一体何時から、一体何処まで知っていたと言うのだろう。 朝日が差し込む中、玄関の方で電子音がカイを呼ぶのが聞こえた。 鳥の鳴き声が響き、電子音が消えた後の静寂のなかでそれはつん、とした音になる。 その音を掻き消すように、カイは玄関の方へ急いだ。 扉を開けた向こうに居るのはあの人だろう。 今日のために準備は整えた。使わなければそれでいいものばかりそろえた。 第三者を演じているように、冷静でない自分を遠いところで感じながら、ドアを開けた。 今日は、賭けだった。 「・・・レイ・・・」 案の定、確認もせず開けた扉の向こうにはあの人が居た。 「・・・悪かったな突然呼んだりして」 あせって変なことを口走らないように前もって用意しておいた台詞を並べる。 いつもより声が小さかった気がするが、レイは気にならなかったようだった。 「おはようカイ、どうしたんだこんな時間に」 (良かった。) 動揺はばれていない、いつものレイだった。 いや、若干いつもより穏やかに見える。気のせいだろうか。 しかし安心ばかりはしていられないので次の台詞を言った。 「ああ・・・顔が見たくなってな」 「・・・・・っ」 レイの、 レイの顔が一瞬ゆがんだように見えた。 「レイ?」 「あ・・・いやなんでもないんだ、ただ俺もちょっと用事があったからちょうど良いなって」 (用事・・・?) レイの顔を見ようとしたが前髪の奥に潜んでしまったので仕方なしに次を言う。 「そうか、とりあえず中に入らないか」 「ん、お邪魔します。」 パタンと戸を閉めると、朝特有の青い暗さが部屋を包んだ。 時計を確認するとまだ6時にもなっていなかった。 あたりまえだ、人のあまり活動していない、しかし活動している人間も多少はいる時間を選んだのだ。 靴を脱ごうとしているレイの背中を見ながら、 カイは賭けに出ようとしていた。 瞼の奥にはいつまでも三日月が揺れている。 カイをせかすように揺れていた。 「レイ・・・」 「何・・・カ・・・っ」 振り向いたレイを抱き締めた。 「カ・・・!?」 驚いているレイの顔を隠すように頭を抱え込んだ。 カイの賭けは、酷く子供のようだった。 「レイ」 「・・・カイ・・・?」 「俺と、どこか、遠くまで行って」 腕の中で息を呑むのを感じた。 「一緒に」 レイが レイがそれに応じてくれればなんて高望みはしなかった。 ただ、ごめんと言って、そうしたらきっとこの優しい人は「一緒にいるしか出来ない」と言うから、 そう言ってくれればよかった。それでよかった。 そんなどうしようもない賭けだった。 腕の中でかすかに震えるレイを抱き締めたまま答えを待った。 その時、腕の中でレイが身じろぎするのを感じた。 それと同時に細い指がカイを弱く押して距離をとった。 どうしたのだろうと抱き締めたままではあるが少し離れた体を、頭を下げると、レイも頭をもたげていた。 カイを離すために使った腕は未だにカイの胸にあったが、 それは既に掴んでいるというよりひっかかっていると言ったほうが正しかった。 だらんとしているレイの頭と手、むしろ体の全て、がカイの意識を捕えて離さなかった。 レイがどうしているかを知りたかったのだが、カイより幾分か背の低いレイの表情を窺うとなると、 どうしても上から見下ろすという事になるのでそれは叶わない。 「…カイ」 レイが、何かを言った。それが聞き慣れた名前だと気付くのに時間はかからなかった。 だがしかし、少しながら時間がかかった所から、どうやらカイ自身が動揺しているらしい事が分かった。 「レイ…?」 何時もより小さい、元気の無い声に返答する。 (レイは 何を 何を言おうと) 「ごめん」 レイが続ける。 そして、 空気が明らかに変わった。 「今日…中国に帰る」 カイは自分の眼が極限まで開くのを感じた。 ああ、 彼は、なんて 『良い方法、教えてやろうか』 またタカオの声が聞こえた。 今度のは前よりはっきりしたような、しかし、例えれば涙でぼやけたように それを上手く呑み込むことが出来なかった。 ただ、その瞬間カイは無意識のうちに自身が右膝をたかく上げているのを感じた。 「っ…かはっ…!!」 レイの、息を吐き出したような苦しそうな声が聞こえる。 「カ・・・っ!?」 カイを見上げた目は非難の色を帯びていて、あんなに愛しかったレイがとても憎く見えた。 そして次に気付いたとき、カイはレイを押し倒し、剥き出しになった白い 首を 「―――欲しいものがあったら、まずは盗らない。」 タカオはただそういった。 そして三日月を揺らしながら続ける。 「隠すんだ」 タカオはテーブルの上に転がっている飴玉をおもむろに手で覆った。 蝉は未だに飽きもせず鳴き続け、それは短い命を自ら削っているようにも聞こえた。 咽がかれそうなほどに吐き出された音、聞いているだけで痛かったのは何故だろう。 タカオはさらに続けた。 「それで、皆がその存在を忘れかけた頃にこっそり盗る。ただし、誰にも気付かれないように静かに、こっそりと」 そういってタカオは自分の黒々とした、しかしやはり赤い色は隠れない口の中にそれを放り込んだ。 さも簡単だとでも言いたげに。 タカオは口の中で飴玉を転がしながらじっと、その張り付いた笑みでカイを見ていた。 そして、彼は知っているのだ。カイが何を欲しているのかを。カイを仕向けた先を。 ただ、タカオは顔を動かさずにしかしその笑みを不気味に歪めた。紺色の髪がサラリと眼を隠した。 「レイ・・・」 腕の中で重くなる体が憎かった。 |
07/10/09